念仏坂の物語り                                       もどる

 1977年に対馬を訪れました。学生のゆえの節約で、ツェルトでの野宿もしばしばで、北部の東西を繋ぐ念仏坂の東南側の林道の沢沿いに泊まることにしました。朝からアムールカナヘビの調査を行うには都合のよい場所で、ツェルトをたたみ、歩いていると、おじいさんがやってきました。「おにいさんはどこからいらした。」、「東京です。」、「ずいぶん遠いところから来られたね。わしは歯医者に行くところだ。」といった会話をして、細い林道の奥へ進むおじいさんを見送りました。たまには、林道近くの林の中で、炭焼きの作業をしている人たちと話す機会もありましたが、ほとんど人の通らない林道で、気配に敏感なアムールカナヘビを観察するには最適でした。
 翌々年、あのおじいさんがまた通りかかりました。「おにいさんはどこからいらした。」、「東京です。」、「ずいぶん遠いところから来られたね。わしは歯医者に行くところだ。」と、同じ挨拶をして見送りながら、念仏坂を越えていくのはおじいさん一人だけではないかと思ったものです。
 その翌年、念仏坂のほうに向かうと、林道は工事中でした。脇を抜けて、念仏坂の峠を越えて、その時はやや大きい集落の民宿に泊まることにしました。
 しばらく年を経て訪れると、そこには立派な車道と念仏坂トンネルがありました。途中で分かれて念仏坂の峠に至る未舗装の道も、幅は狭いものの車が通れるようになり、杉の植林が進んでいました。
 そして最近行くと、峠に向かう林道にブイのような発泡スチロールの大きなかたまりが落ちていました。海から離れたところになぜ、と思いながら進むと、杉の伐採のときにでる廃棄杉皮の山積みのとなりに、大量の発泡スチロールブイや漁網や船関係の廃材が無造作に捨ててありました。近くには、かつての炭焼き窯の跡であろう石積みがあり、雑木林があった頃を思い出します。そして、アムールカナヘビの姿を見ることはありませんでした。杉の林床は草がなくなり、もう、ここに行くことはないかもしれません。


最初に訪れたときの念仏坂方向の林道(左)と道路とトンネル工事が始まった頃の林道周辺(右)


建設された道路と周辺の植林地(左)と念仏坂トンネル(右)


林道の奥に廃棄された発泡スチロールブイ(左)と炭焼き窯跡の周辺に散乱する廃材(右)


この林道で最後に見かけたアムールカナヘビ(コオロギを捕食中)


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